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Ocean Hunter III - Palau - パラオの歴史


Japanese tank on Peleliu他の大陸から離れ、太平洋に囲まれ、他の大陸から離れたパラオの歴史に関する情報は多くありません。この遠隔地にあるということが紀元前1000年からのパラオの古代遺産や高度な伝統文化などへの幅広い学術調査をも阻んできました。しかし、パラオに対し強い情熱を持つ人々が激しい戦争で消されてしまったパラオの伝統文化の豊かな歴史を解き明かします。

パラオは太平洋戦争の激戦地となりました。1885年にスペインにより発見、占領され、1899年にはドイツに売却、第一次世界大戦後の1914年に日本の統治下におかれました。このころまでに天然痘などの外国からの伝染病のためにパラオの先住民の人口は7割程に減ってしまいました。1914年から太平洋戦争までパラオは日本海軍の主要基地、また日本の南洋統治の中心地になりました。コロールは日本へのリン鉱石とコプラの輸出で繁栄し、外国人も多く住んでいました。
troops on Peleliu
太平洋戦争時にはアメリカ軍がパラオの日本軍基地を攻撃しました。1944年3月30、31日の両日、アメリカ軍は“デセクレイトⅠ”空襲作戦を発動し、これにより沈められた艦艇が、現在我々がレックダイビングを行う、いわゆる“ロックアイランドの失われた艦隊”となっています。アメリカ軍に包囲されたペリリュー島の戦闘は、2か月に及びました。コロールは破壊され、パラオのリーフは血で染めら、船の墓場となり、静かな海に多くの人々が眠ることとなりました

戦争が終わり、1948年から1994年まで、アメリカはパラオを国連信託統治領としました。アメリカから資金を得ることと交換に軍用地を提供することで1994年にはパラオはアメリカとの自由連合盟約(コンパクト)を承認し、独立しました。

パラオは現在もアメリカとの自由連合盟約(コンパクト)のもとにあり、パラオ、アメリカ双方の国民はそれそれの国において特典を得ています。アメリカはパラオ政府に資金を提供することで、他国から遠く離れた戦略拠点を得ています。
Yapese stone money quarry
さまざまな侵略国の影響を受ける以前のパラオの歴史はいまだに解明されない点が多くあります。ロックアイランドには紀元前1000年には人が住んでいたことがわかっています。今日でも昔からの文化が色濃く残っています。例えば、ビーズマネー、第一子誕生を祝う伝統的儀式(ベビーシャワ)、バイと呼ばれる集会所、岩の斜面にある古代の段丘、洞窟の壁画、ジャングルの中のストーンモノリス、ブルとよばれる法律などです。ブルというのはパラオの祖先から口伝された魚の保護のための決まりで、産卵期に決められた場所での漁が禁じられ、今なお漁師の間で守られています。パラオの人々はその環境と祖先に敬意を払っているのです。先進国の経済の影響を受ける観光産業と環境保護のバランスをいかに取るかで苦慮しています。